今回は、僕が渡米時から大変お世話になっている隔月発行誌『SOGI』編集長であり、日本遺体衛生保全協会(IFSA)の運営委員長でもある碑文谷先生にコメントをいただきました。
先生は僕の志を理解して僕の活動を応援して下さっています。
譲るなどと言わずにいつまでもお元気で活動していただきたい、僕らを見守っていただきたいと思っています。
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橋爪さんのこと
橋爪さんとの付き合いは長いです。
かつて私の事務所が神宮前にあった時、電話かメールかは忘れましたが、在米中の彼が日本のエンバーミング事情について知りたいということで連絡を取ってきたことが最初でした。
何度かメールを交換した後、「いまの在米経験を原稿にしないか?」と私がもちかけ、以来、在米中からも帰国後いまに至るまで、彼の雑誌『SOGI』への連載は続いています。現在は「グリーフ」(死別の悲嘆)について書いてもらっています。私は、日本初の葬儀の専門学校の立ち上げに協力したことがあります。彼が帰国後、そこで教鞭をとることになり、さらに関係は濃くなりました。
日本のエンバーミングは1988年に埼玉で開始しましたが、最初は情報も行き届かずに行われていました。私がそれを取材したことをきっかけに、情報を公開し、実施のルールを作るべきだと呼びかけ、1994年にできたのが、IFSA(日本遺体衛生保全協会)であり、「エンバーミング自主基準」です。
問題は、日本人の専門家が中神一浩さんを除いていなかったことです。そこに橋爪さんに加わってもらいました。彼は専門教育を受けたエンバーマーとしてだけではなく、彼のコミュニケーション能力は高く、グリーフ(死別の悲嘆)についてもきちんと勉強してきたという点がよかったです。
懸案は、それまで北米のエンバーマーに頼っていた現状を改め、日本人のエンバーマーを養成することでした。IFSA発足当初からの課題でしたが、ようやく実現したのが2003年のことです。橋爪さんなしでは到底できなかったことです。
日本人エンバーマーの養成は彼を中心に、最初から行っています。いま活躍している日本人エンバーマーは皆彼の弟子です。
彼はエンバーミングを修めた後、米国の大学院でグリーフについて学びましたが、エンバーミングをグリーフサポートの観点で位置づける視点は有効ですし、教えられることが多いです。
エンバーミングは北米では一般的な遺体処置技術ですが、日本では馴染みのない技術。正しく、適正に普及することが肝心です。いまではエンバーミングは日本では年間15,000件を超えて行われています。といっても日本人の年間死亡者の2%に達していません。施設数は約25、まだまだです。
とはいっても88年に開始されてから20年の歴史の中で3つの大きな問題点が解決されました。
①法的な合法性 昨年、「IFSAの自主基準に則って行われる限り、違法性はない」という裁判所の判決が確定しました。IFSAの姿勢が認定されたことです。
②日本人エンバーマーの養成が行われ、IFSA認定の日本人エンバーマーの供給が可能となりました。
③施設の費用が当初は6千万円以上かかりましたが、2千万円程度と低減することができました。
環境は整ったと言えるでしょう。もちろん、エンバーミングをするかしないかは本人あるいは遺族が決定することです。「選ぶ自由」もあれば、「選ばない自由」も尊重されるべきです。しかし、現状では施設数が少なく、「エンバーミングをする自由」がほとんどの遺族に与えられていないのが実情です。
橋爪さんの実家は北海道千歳市の葬儀社、お父さまも健在で、一度彼が不在のときにうかがったのですが、家族全員が「ケンチャン、ケンチャン」と言って彼を愛しています。お父さんとは年に数回お会いしますが、目に入れても痛くない様子。その期待にケンチャンも一生懸命応えようと努力しています。
いつからか「ポスト碑文谷プロジェクト」が言われるようになり、橋爪さんが「グリーフとエンバーミングについては私が責任をもってやります」と力強く言ってくれています。私が手探りで開始した仕事を高いレベルで実現できる後継者を得たことを心強く感じています。
碑文谷 創(葬送ジャーナリスト、雑誌『SOGI』編集長)