前回は、父からエンバーミングを勉強するためにアメリカ留学を薦められたところまで話しましたが、今回はその続きをお話します。
2週間ほど毎日のように、僕は自分の人生を決定してしまうこの重大な選択について真剣に考えました。葬祭の仕事に携わることの責任と大変さを自分の目で見て育ってきた僕にとって、これは容易に回答できる話ではありませんでした。
正直なところ、幼い頃、両親の仕事が葬祭業というだけで、からかわれたりいじめられたりしたことが頭の中を何度もよぎりました。
「本当に葬祭業を一生の仕事としてやる決意があるのか?」
「エンバーマーとしてどんな役にたてるのだろう?」
といった問いが頭の中を駆け巡り、思い悩みました。
しかし、僕の意思を決めてくれたのは、他ならぬ両親の一生懸命に働く姿、そして、両親をはじめ社員が行った仕事に対してご遺族や弔問客の方々が感謝する姿でした。
その時点で僕がしていた仕事は、若者なら大部分の人が憧れる職業で、金銭的にも大きな取り引きを担当していました。しかし、社会人となって3年目のその年、僕が仕事に求めているものは、困っている人々のために働き、直接感謝の言葉を受け、それに対して金銭的な報酬をいただくことなのだということに気づき始めていました。
小さい時の嫌な思い出を忘れるために避けてきた葬祭業が、実は自分が仕事に求めているものを与えてくれる職業であったということに気がついたのでした。
そうすると、留学をすることが、自分を個人的に成長させてくれるだけでなく、葬祭業界にもたらす可能性、そして、大事な家族や友人をなくした方々の役に立てる可能性を本当にたくさんもっていうこと気づきました。
アメリカで葬儀の専門分野を学んでライセンスを取得し、自分が日本で使命感をもって仕事をしていけば、日本人がもつ葬祭の仕事に対する偏見も変わるはずだと思いました。
僕は決意を新たにし、会社に3月いっぱいで退社する退職願を提出しました。その後、多くの方々の協力を得て、父が研修に行ったピッツバーグのモーチュアリー・カレッジへの留学が決まり、大学生の頃から住み慣れた東京のアパートを引き払い、ピッツバーグへ向かったのでした。